プロローグ
僕は高校までずっと徳島県の田舎町に住んでいました。周りを見渡せば、民家が点在している程度で、あとはすべて畑や雑木林に囲まれた場所です。幼いころはコンビニすらありませんでした。
そんな環境で、僕ができることといえば自然の中を探検するか、家の中でゲームをするくらいでした。つまり、何かに本気で打ち込むことができず、将来の夢を見つけることもできませんでした。ちなみに、病気がちで頻繁に入院していた僕は、病室で絵を描いたり、元気なときには魚釣りに行くのが好きでした。そのため、将来の夢は絵描きか釣り博士でした。
青春時代は暗黒時代のように過ごし、大学もなんとなく建築科に入学しました。大学生活は適当に授業を受け、単位さえ落とさなければOKという感じでしたが、結局あっさりと挫折しました。
二人の恩師との出会い
そんな僕にも転機が訪れました。それは鍼灸医術の二人の恩師に出会い、東洋医学の世界にのめり込んだことです。
22歳の時に心臓病で緊急手術を受け、生死を彷徨った経験が自分の人生を見つめ直すきっかけになりました。自分の体調を自分で管理できるようにと調べた結果、鍼灸師という職業にたどり着きました。
今回は本気で専門学校に入学する前から勉強を始めました。ある本で読んだ「経絡経穴は鍼灸師の命」という言葉に影響を受け、正規の授業が始まる前に経絡経穴をすべて暗唱できるほど覚えました。卒業後はすぐにプロとして活躍できるよう、マインドセットしていました。そのおかげで学校の成績は三年間ずっとトップクラスを維持できました。
また、学校で習う内容だけでは満足できなかったので、一年生の時から国や流派を問わず勉強会・セミナー・講演会に参加し、外国へ研修の旅にも出かけました。様々なスゴ技を使う先生に出会い、実践で使う理論や技術指導も受けました。
勉強会に参加していた時、ある日「氣鍼医術」という言葉が目に飛び込んできました。「氣鍼って何⁉」と思い、講演会に申し込みました。これが後の師匠二人との最初の出会いでした。講演会の後、もっと深く技術指導を受けたくなり、講習会に申し込みました。 経絡治療における証決定の診断・治療ルールが明確であること、伝統的な古典医学の理論に則って鍼や灸の治療が行われていること、刺す鍼術と刺さない鍼術の使い分けが基準に従ってちゃんと使い分けされていることが決め手となり、入会を決意しました。
卒業後、僕は内弟子として修行することを許可されました。修行時代はとにかく大変で、必死に食らいついていくので精一杯でした。また、同時にスポーツ鍼灸に造詣が深い先生にも弟子入りを許され、あらゆる技術を実践形式で徹底的に学びました。 修行を四年間積んだおかげで、治療でほとんど迷いなく無意識に動けるぐらいになりました。
確かな技術を求める治療家のために
修行後、独立開業しましたが、経営が思うようにいかず、日々の雑務に追われて医療技術の研究をする時間がありませんでした。結果として病気になり、「鬱」と診断されてしまいました。 患者さんにはとても申し訳なかったですが、同門や知り合いの先生、信頼できる治療所を紹介して移ってもらいました。院を閉じた後も、時折往診で治療を行っていました。 しかし、これまでと同じやり方では同じ結果になるのではないかと不安になり、再開するかについては迷っていました。
考え抜いた結果、自分の技術をコンテンツとして伝えることから始め、フィードバックをもらいながらさらに良いコンテンツを研究して提供することを決意しました。そして、みんなでシェアできる場をつくることが目標です。